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昭和57年、全国学校栄養士協議会が1月22日をカレー給食の日と決めたことから、この日が「カレーライスの日」とされるように。カレーライスが多くの日本人に愛されるようになるまでの道のりは、いったいどんなだったのでしょう?
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明治初期、「少年よ、大志をいだけ!」の言葉で有名なクラーク博士は、札幌農学校の寮食において、米飯を粗食との理由で禁止しましたが、カレーライスだけは例外だったという話が伝えられています。このころからカレーライスは、西洋料理を扱う高級レストランのメニューに登場し始めます。 明治後期になると、庶民的な洋食屋でも扱われ始めますが、あくまでもそれは都会での話。しかも和食に比べてかなり値段が高く、ハイカラな高級メニューという位置づけがしばらく続くこととなります。
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調理が簡単で一度に大量に作れ、しかも栄養面にもすぐれていたカレーライスは、明治時代に、陸海軍の給食として採用されました。そのため、一度に多くの日本人がカレーの味を覚えることに。このことは、昭和になってからもかわらず、その後のカレーライスの普及に大きく貢献することとなります。
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国産カレー粉メーカーの宣伝活動が功を奏し、大正から昭和にかけ、カレーライスは徐々に庶民に認知されるようになりました。ところが、第二次世界大戦の勃発でカレー粉の販売が禁止され、街からカレーライスが消えることに。ただし、軍の食事には取り入れられていたため、戦中もカレー粉は細々と生産されていました。 戦後、軍隊でカレーの味を覚えた人たちが郷里に戻ったこと、学校給食にカレーが取り入れられたことなどから、全国的にカレーライスが家庭へと広がり、国民食への道を歩むこととなったのです。
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