8月9日|発言(1)|碧ママさん|2013/08/10 09:56|[4671]
皆さま、いつもメッセージありがとうございます。なかなかお一人お一人お返事できず申し訳ありません。
今日は、2年前の8月について書きます。
(長文すみません。また、もし表現等で不快に思われることがありましたら、申し訳ありません。)

2011年8月2日。
津波で亡くなった長女の遺体を引き取ることができました。
(自衛隊や警察、消防救急、市職員、その他の皆さまありがとうございました)

最悪を想像していましたが、自分の想像よりは傷みはましな方でした。
自宅に連れ帰り、泥砂を洗ったり、できるだけ綺麗に可愛くしてやりました。修復できるとこは、修復してもらいました。
長女は、笑みを浮かべながら眠っているようでした。

ごめんね、ごめんね、ごめんね、
会いたかったよ。
こんなママと離れたこと無かったのにね。
淋しかったね、痛かったね、辛かったね、
ママを恨んでるかな…。

『ママ!』ともう一度言って欲しかった。
いっぱいいっぱい抱きしめました。

母(おばあちゃん)にも、『最期だから会って欲しい』と懇願しましたが、母は
『元気な姿をいつまでも留めておきたいから…。ごめん、会えない』と。
気持ちは会って欲しかったけど、孫を可愛がっていた母の張り裂けそうな心情を察すると、会わせたいのは私のエゴ、娘だってこんな姿を見られたくないかも、と思い、無理強いしませんでした。

二女はまだ赤ん坊でしたが、変わり果てた姉を見て、尋常ではない何かを感じ取っていたようでした。
無理ですが、叶うことならずっと手元に起きたかった。

8月9日
長女の火葬の日。
友人たちが折ってくれた千羽鶴、私からの手紙、お守り、おもちゃ、愛用品など入れました。
長女の物は何でも手元に置きたかったけど、それも私のエゴであり、娘が天国で困らないようにしなくては、と二つの想いのせめぎ合いで。
8月9日は、長崎原爆の日。
こちらも哀しい日ですが、みんなの祈りに包まれる日に、娘も祈って頂いているつもりになれる、と考えることにしました。
そして娘は召されました。

娘を見送りながら変と思われるかもしれませんが、被災地心情としては、御遺体が見つかったこと、手厚く見送りできることが、『とても有り難く、よかった』なのです。

それだけ行方不明の方が多く、手厚く見送りたくても、叶わないご遺族がたくさんいらっしゃって、今も癒されない悼みで癒されないことを、被災地から遠いかたにも、忘れないでほしい…と思います。

10月のある日
津波に呑まれる夢は何度も見ましたが、わすれられない夢を見ました。
20年前に亡くなった私の父が出てきて、避難先で父が元気な姿の長女と手をつないでいて、言いました。
『○ちゃん(長女)と高台に避難したからな、無事だ。大丈夫だった。』
もちろん、父と長女は生前会えていません。

長女は長い旅路の末、天国に到着できたんだ…。これからは天国の父(おじいちゃん)がそばで長女を可愛がってくれる…
そう思いました。

2013年8月
初めて二女を連れての飛行機。
窓側の席で大喜び。
二女は雲の上を飛ぶ飛行機内で手を振りました。
『おじいちゃんとお姉ちゃんいたよ!』と。

いつも『お姉ちゃんはお星さまになって、おじいちゃんとお空にいるよ』と説明しているからか、二女には見えたか、
どちらか。どちらもか。

これからも祈り続けます。
長文のご精読ありがとうございました。

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この発言に対するコメント(1)

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『8月9日』についてありがとうございました|碧ママさん|2013/08/12 13:02|[4672]
先日の長文、『8月9日』に皆さまの多数のベビタ、本当にありがとうございました。
娘の供養になりました。
これからは、娘(二女)と前を向いてがんばっていきます。

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