相談
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膵臓ガンについて。
- 実父が膵臓ガンと診断されました。
見つかった時にはもう末期と言われました。
本人は痛みなど自覚がほとんどないようです。
家族などで膵臓ガンの診断をうけた方がいるかた、どんな治療してて、どれくらいの余命を告げられたかなど、教えて下さいm(__)m - 2009/08/28 | さんの他の相談を見る
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お辛いですね・・・。 | 2009/08/28
- 書き込むべきか、迷いましたが、少しでも参考になればと思い、書き込みます。
結婚前の仕事内容と、立場上、末期の方はたくさん看てきました。
すい臓は、早く進行する臓器の一種で、ほとんどが見つかった時点で長くても余命6ヶ月ほどです。
痛みはないのでしたら、私の関わったほとんどの方が、自宅で最後を看取っておられました。(もちろん痛みがなくても病院の方もおられましたが)
残念ながら、治療法も、ほとんどない状態と思います。
もちろん訪問医師や、訪問看護や、訪問介護など、色々な方の支援が必要になりますが、本人が希望されるなら、在宅介護もひとつの方法だと思います。
(私自身、24時間体勢で家族と協力し、8年前、曾祖母を在宅で看取っています。他に3人の身内は病院で。でしたが一番後悔せず送れたのはこの曾祖母です)
本当にお辛いですよね。・・・・。どうしてもこのような話になってしまい、申し訳ないです。
でも、現代医学では計り知れない色々な奇跡も目にします!私の曾祖母は、人工呼吸器をつけ、認知症で、寝たきりだったけど、連れて帰ってからはベッドや車いすに座って、デイサービスに行ったり、ホワイトボードに手紙を書いたり(私に「看護婦さんいつもありがとう」とか。)余命も3ヶ月ほどといわれてましたが結局1年、一緒に過ごしました。
ジョジョさんのお父様、痛みがないければ、やりたいこと、できるだけ協力してあげてください。
長文すいませんでした。
母方の祖父がそうでした。 | 2009/08/29
- 祖父も気付いたときには末期で入院してから、半年も病院にいなかったです。
ただ、手術できない場所だったんで、ただ痛み止めをしながらの日々でした。
最後のほうは、モルヒネという痛み止めを使ってましたが、半分麻薬みたいなもので、使いすぎは体に負担がかかるし、でも、使わないと本人が苦しそうで、周りの人間も辛かったです。
本当は一年以内と言われていたので、入院してから、一気に進行して、早かったです。
正直に書かせて頂きましたが、お父様の事で、おつらいですよね。
私は背中など力強くさすってあげると楽なようだったので(陣痛のときに強くさすってもらうと楽になったみたいな)やれるだけやりました。
多分、食欲もなくなるでしょうから、食べれるうちに好きなものを召し上がられると喜ばれると思います。
お辛いですよね | 2009/08/29
- 私の実父もすい臓がんで亡くなりました。物が食べられなくなり、町医者に行っても原因がわからず、大きな病院でみてもらったら
すい臓がんでした。余命10ヶ月~1年といわれました。やはり発見されたときはもう手遅れで、物が食べられるようにバイパス手術(すい臓の腫瘍で食道を塞いでいたようです)をしただけで、すい臓には手をつけられませんでした。
自宅で抗がん剤を2週間飲んで、2週間休むという治療をしていました。食欲はありませんでしたが、激しい痛みに苦しむという事は
なかったです。癌を宣告されてから1年で亡くなりました。がんばった方だそうです。私が妊娠して、孫を抱かせてあげられたことが生きる力になったのかもしれません。お辛いでしょうが希望を与えてあげてください。
お父さんの過ごしやすい病院だといいですね。。。 | 2009/08/30
- 私の父も膵臓がんで余命1カ月と言われました。
手術を受けましたが、黄疸を解消するためのバイパス手術でした。
痛みはありましたが、内服薬でコントロールできました。(我慢強いね、とよくナースさんには言われましたが)
亡くなったのは診断後7ヶ月後です。内5カ月は病院で過ごしました。
貧血がひどく、家で生活するのが難しくなったためです。
我が家は、幸いいい病院に巡り合えました。
積極的な治療に適した病院は近くにたくさんありましたが、うちはお父さんの過ごしやすい病院を選びました。
家から5分くらいで行ける病院で、長期間でしたが個室もOKしてもらえ、ベット上の喫煙も特別OK、家族も泊まらせてもらえ、夜中の面会も特別許していただけました。
家族にとっても、父にとっても快適な環境だったと思います。
毎晩誰かが泊まって、たわいもない世間話をして過ごしました。
食欲はすごくあったので、好きなものを食べて過ごしました。
最期の1カ月は、仕事も休ませてもらえ、ずっと付き添っていることができたので、亡くなった時にはやりきった感がありました。
「もっと話をすればよかった」「お父さんの好きなあれを食べさせてあげれば良かった」等々、後悔のないようにしてください。
母から言われた言葉です。
「病人が一番辛いんだから、いやな顔をしたらいけんよ」
どんな顔をして会えば…と思ってましたが、とにかく笑顔でいることを心がけていました。