先天性心疾患を持って生まれたわが子
2020年12月29日、ご実家のある宮崎県で長女・凛梨(りり)ちゃんを出産した有輝香さん。上のふたりはお兄ちゃんたちで、凛梨ちゃんは初めての女の子でした。
大きな産声を聞いて安堵したのも束の間、凛梨ちゃんはすぐにNICU(新生児集中治療室)に連れて行かれてしまったそうです。
「チアノーゼがひどく、酸素吸入が必要とのことだったのですが、生まれたばかりの娘を胸に抱くことなく分娩台の上で待つこと約2時間。不安な気持ちでいっぱいでした。
その後、産科の先生から『おそらくお子さんは先天性心疾患を抱えています』と告げられたときには、頭の中が真っ白になりました。
出産した総合病院は小児循環専門の医師が在籍していなかったのですぐに転院が決まり、娘だけ救急車で小児循環器科のある病院へ。顔も見ぬまま離れ離れになってしまいました」
手術のためにドクターヘリで福岡へ
有輝香さんは産後2時間程の体で凛梨ちゃんが運ばれた病院へ。そこで、凛梨ちゃんの病名が「完全大血管転位症」であるということを知ります。
「全身に酸素の入った血液を送れない病気で、数時間のうちに『心房中隔裂開術』というカテーテル処置をしないと命の危険もあると言われ、すぐに処置をしていただきました。
しかしこれは一時的な処置に過ぎず、きちんとした手術をしなければ死んでしまう病気でした。転院先の病院ではその手術ができないため、福岡の大きな病院で手術することが決まりました。
年が明けて1月4日。娘はドクターヘリで向かいました。産後間もない私はヘリに乗ることができず、夫が同乗。ヘリが飛び立つ瞬間を、胸がえぐられるような気持ちで見つめていました」
搾乳から始まった娘の母乳育児
凛梨ちゃんが生まれた夜から母乳が出始めたと言う有輝香さん。
「最初は5mlくらいでした。でも、産後数日間に分泌される初乳は免疫物質がたっぷり入っているので、看護師さんたちも『凛梨ちゃんに届けよう!』と言ってくださいました。
そこから毎日出るだけしぼって、冷凍保存した母乳を娘に届けるようになりました。
最初は量も少なく手搾りでしたが、3~4日したら30mlほど搾れるようになり、50mlほど搾れるようになった頃からピジョンの手動搾乳器を使い始めました。
生まれてすぐ離れ離れになり、一度も抱いたこともない娘に私がしてあげられる唯一の、そして最大のことが母乳を搾乳することだったので、自分の手を動かしているという感覚は、うれしかったですね」
つらいときもあったけれど、届け続けてよかった
心を強く持って頑張っていた有輝香さんですが、物事をポジティブに捉えられない時期もありました。
「不安や悲しみなど、負の感情が大きくなってしまって…。娘の病気は手術さえうまくいけば根治できる病気ですが、さまざまな合併症や輸血のリスクがあり、手術中の死亡率は3~5%。一方で、娘の病気の発生頻度は3000人にひとり。既にすごい確率を引いているので死亡率も無視できない状況下の中、泣きながら搾乳することもありましたね。
そんなとき、看護師さんが
『お母さん、頑張らんといかんよ』
『泣いていたらちゃんと母乳って出ないから、明るい気持ちでいっぱい出して、ちゃんと届けて』
と励ましてくださって、すごく救われました」
そして迎えた1月8日。凛梨ちゃんの手術は9時間に及びました。
凛梨ちゃんは、このときわずか生後10日。
小さな体で、本当によく頑張りました。
「手術が終わり、執刀医の先生から『お子さんの手術は無事に終わりました』と言われたときには、夫と抱き合い、泣きながらよろこびました。
術後の経過も順調で、当初の予定より2週間も早く退院できたんです。『すごい回復力ですよ!』と、先生や看護師さんたちが言ってくださって、本当にうれしかったですね。
娘の生命力に加え、母乳の力も大きかったと感じています。頑張って母乳を届け続けられてよかったと思いました」
NICU(新生児集中治療室)、PICU(小児集中治療室)を経て、一般病棟へ移る際、目を開けた凛梨ちゃんと対面した有輝香さん。生後23日に初めて凛梨ちゃんを腕に抱くことができました。
次回は3人の育児を通して感じた、有輝香さんにとっての「母乳育児」についてお聞きします。
★離れていても母乳があげられる。母乳の「保存」を知って、母乳育児をもっと自由に!
母乳の保存についての詳しい情報はこちら⇒
★わたしの授乳ストーリー<シンガーソングライター・石原有輝香さん編>後編に続く
取材・文/羽田朋美(Neem Tree)