みなさんは、「母乳バンク」をご存知でしょうか。
母乳バンクとは、早産などで小さく生まれた赤ちゃんが、お母さんの体調が悪かったり、十分な量の母乳が出なかったりして母乳を得られない場合に、寄付された母乳を安全に処理した「ドナーミルク」を提供する施設です。
今回、ピジョン本社の1階にある「日本橋 母乳バンク」開設1周年にあたって、「ドナーミルクでひとりでも多くの赤ちゃんの命を救いたい!」という思いのもと、母乳バンクを広げる活動を続ける「日本母乳バンク協会」の代表理事で、昭和大学医学部教授の水野克己医師を取材しました。
前編では、「母乳バンク」や「ドナーミルク」の有効性と重要性についてお話しいただいています。ぜひ、多くのママやパパ、これから赤ちゃんを迎えるプレママ&パパにお読みいただきたいと思います。
「日本橋 母乳バンク」開設から1周年
2020年当時、母乳バンクは、日本で昭和大学江東豊洲病院に1軒しかなく、施設が圧倒的に不足している状況でした。そこで、ピジョンは本社1階において日本で2拠点目となる「日本橋 母乳バンク」の開設をサポート。約1000人の小さな赤ちゃんにドナーミルクを提供可能な規模の場所の無償提供とともに、母乳の低温殺菌などの必要な設備の提供を、全面的に支援しました。
その後、新型コロナウイルス感染症の影響により、2021年3月、昭和大学江東豊洲病院「母乳バンク室」が閉鎖。職員も併せ、全業務を「日本橋 母乳バンク」に移管し、日本で稼働する唯一の母乳バンクとなりました。
2021年度は、ドナーミルクを利用する赤ちゃんは500人を超える見込みとなり(前年度203人)、実績を積み上げています。
「日本橋 母乳バンク」開設1周年記念イベントで母乳とドナーミルクの有効性、日本母乳バンクの実績について報告する水野先生
早く小さく生まれた赤ちゃんにとってベストな選択肢とは?
ー赤ちゃんの栄養は、母乳、人工乳(粉ミルク)、ドナーミルクという選択肢がありますが、早く小さく生まれた赤ちゃんにとって、ベストな選択はなんでしょう。
「一番が母乳、次にドナーミルクです。母乳は、慢性肺疾患や未熟児網膜症、重症感染症、そして壊死性腸炎などを予防する効果があり、赤ちゃんの健やかな成長に欠かせません。
しかし、さまざまな理由で自分のお母さんから直接母乳を得られない場合、早く小さく生まれた赤ちゃんにとってのベストは、ドナーミルクとなります。正期産で生まれた赤ちゃんは人工乳でも構いませんが、早く小さく生まれた赤ちゃんに母乳を与えられるかどうかは、赤ちゃんのその後の発達、ひいては人生にも影響してくるのです」(水野先生、以下同)
早く小さく生まれた赤ちゃんにとって、ドナーミルクは薬のようなもの
ドナーから寄付された冷凍母乳
ードナーミルクを必要とするのは、早く小さく生まれた赤ちゃんということですが、具体的にどのような赤ちゃんでしょうか。
「日本では、原則として出生体重が1500g未満の赤ちゃんで、自分のお母さんから母乳を得られない場合に提供されます。乳腺の発達が早産により途中で止まってしまったときなどにお母さんの母乳が出るまでのつなぎとして使われることが、数としては一番多いですね。
小さく生まれた赤ちゃんに、より元気にすくすく育ってもらうためには、早くから経腸栄養を始めることが重要です。生後28週から40週の間に赤ちゃんの脳は発達していきますので、合併症の不安を残さず育んでいくためにも、栄養が早くから途絶えることなく得られることが、脳を含め全身の発育・発達に欠かせません。
そのため、母乳が出るようになるのを待つのではなく、生後6時間から12時間程の間に1500g未満で生まれた赤ちゃんにドナーミルクでまず栄養を始め、お母さんの母乳が出てきたら母乳に切り替えるという施設が増えてきています」
ーほかにどのような場合に、ドナーミルクが提供されるのでしょうか。
「お母さんに悪性腫瘍が見つかり、治療のために20週代に帝王切開で娩出され、その後赤ちゃんにドナーミルクが提供された例が散見されます。
それから、ドナーミルクが絶対的に必要な状況として、お母さんが出産後に亡くなられてしまった場合です。お母さんがおられない以上、人工乳かドナーミルクかという選択肢になるわけですが、赤ちゃんにとって、ドナーミルクは単に栄養ではなく、腸の病気や感染症から身を守ったり、成長を助けたりするための薬のように大切なものなのです」
人工乳ではなく「ドナーミルク」が必要なわけ
ー早く小さく生まれた赤ちゃんにとって、人工乳よりもドナーミルクの方がベストである理由をもう少し詳しく教えてください。
「ドナーミルクには、壊死性腸炎の予防効果があるためです。1500g未満で生まれた赤ちゃんに多く見られる、腸の一部が腐ってしまう壊死性腸炎は、生死にかかわる疾患です。この壊死性腸炎は、母乳で育てたときよりも人工乳で育てたときのほうが3倍も高い確率で起こることがわかっています。
母乳に含まれる『ヒトミルクオリゴ糖』の中の3つの成分が壊死性腸炎予防に重要なのですが、『ヒトミルクオリゴ糖』はドナー提供する際に低温殺菌処理をしても、量も活性もまったく変わらず、生きた状態で赤ちゃんの腸を守ってくれるんですね。正期産の母乳を処理したドナーミルクであっても、人工乳より壊死性腸炎の罹患率を1/3に低下させる効果があります」
ー壊死性腸炎にかかる赤ちゃんは、年間どれくらいなのでしょうか。
「NRNデータベースによりますと2003年から2012年に出生した極低出生体重児のうち、解析できた35779人で532人が壊死性腸炎に罹患していました。このすべてが人工乳を使ったからというわけではないと思いますが、たとえその1割が人工乳を使ったことが関係したとするなら53人になります。
この53人の赤ちゃんがドナーミルクで壊死性腸炎にかからないなら、それはとても大きなことだと思います」
母乳バンクで厳重に管理されているドナーミルク
低音殺菌機(左)とクリーンベンチ(右)
ードナーミルクは、母乳バンクでどのように管理されているのでしょうか。
「母乳バンクに届けられた冷凍母乳は、細菌培養検査を行った後、62.5度に加熱します。30分間その温度を維持する低温殺菌処理がされ、さらにもう一度検査を行い、無菌状態であることをチェックします。その後マイナス30度の冷凍庫『バイオメディカルフリーザー』で厳重に保管され、各病院の医師の要請に応じて、必要な赤ちゃんのもとへ発送されます。
ドナーミルクの保存期間はさく乳から6ヵ月以内となります。例えば、3月1日にさく乳したら9月1日までは使えます。ですから、さく乳して1ヵ月以内に送っていただくと、5ヵ月程は有効となります。アメリカでは有効期限を1年と定めていますが、日本では6ヵ月と、より厳しく定めています」
母乳感染はなし コロナ禍で気になるドナーミルクの安全性
冷凍庫に保管された、培養検査の結果待ちのドナーミルク
ー新型コロナウイルス感染症の影響を懸念される方もいらっしゃると思いますが、その心配はないのでしょうか。
「ドナーのお母さんには、まず清浄綿などでお胸を拭くなど衛生を徹底したさく乳方法でさく乳いただいています。もちろん新型コロナに感染している人はドナーになれませんが、万が一感染している場合でも、お胸を拭けば、母乳中にウイルスが出ることはありません。また、もし母乳中にコロナウイルスが含まれていたとしても、低温殺菌処理を行いますので、感染の心配はなくなります」
ドナーミルクは低温殺菌して厳重に保管された安全性の高いものであることがわかりましたが、それでもわが子に自分以外の母乳を与えることに抵抗があるというママは少なくないでしょう。
しかし、ドナーミルクを使うことで生死にかかわる重大な病気のリスクを減らせることを知ったら、考えは変わるかもしれません。早く小さく生まれた赤ちゃんにとって、ドナーミルクは、命をつなぐ大切な薬のようなもの。ドナーミルクを使うか否かが、その後の赤ちゃんの未来を大きく左右することを、ひとりでも多くの方に知っていただくことが重要です。
次回後編では、実際にドナーミルクを使用されたご家族の声、ドナーになれる方の条件や、ドナーになれない場合も、母乳バンク支援のためにできることについてお伝えします。
母乳バンクについて<後編> ちいさな命を救うために、私たちができること
【プロフィール】
水野克己
一般社団法人 日本母乳バンク協会 代表理事。
1987年昭和大学医学部卒業。昭和大学江東豊洲病院教授、こどもセンター長を経て、2014年日本初の母乳バンクを設立。2017年に一般社団法人 日本母乳バンク協会を設立。小児科医としての仕事のかたわら、講演活動や自費出版などを通じ、母乳バンク普及を呼びかけ続ける。
撮影/矢部ひとみ(※水野先生取材分) 取材・文/羽田朋美(Neem Tree)